就労B型(リカバリーストーリー)

就労B リカバリーストーリー

「ゆうせんに出会えて自分が変わったこと」
私は、知的障害があり、療育手帳と精神保健福祉手帳を持っています。学校卒業後、高齢者のデイサービスで3年働いていました。
その後、知的障害者の施設に2年間通っていましたが、対人関係がうまくいかずに辞めてしまいました。家にいながら他に通うところを探していたときにクラブハウスゆうせんを紹介されました。ゆうせんに見学をしたり、体験実習をして、私の、課題が見つかりました。「対人関係とコミュニケーションを上手く出来るようにする。」ということがわかりました。
ゆうせんに入って最初にウェルカムワークユニットに入りました。ウェルカムワークでは古紙再生でダンボールについたテープやシールなどをはがして業者さんに回収してもらいます。初めはどんな事をするのかさっぱり分からなかったのですが、他のメンバーさんに教えてもらいながらやるうちに楽しくなりました。やりがいがあり自分に自信をもってやれる仕事です。
ゆうせんに来て自分では明るくなったと思います。ゆうせんが楽しく、来てよかった、入ってよかったとおもいます。
みんなと楽しい会話ができたり、いろんなことで笑ったりして1日があっとあう間に終わってしまいます。
私の目標は、過渡的雇用で、働く事です。ゆうせんのメンバーさんがやっているのを知って、「私も出来るかな」と思って、やってみたいと思いました。私は足が悪いので、体力をつけたいからです。またゆうせん内の人とコミュニケーションは取れますが、ゆうせん外の人の前だと固まってしまうので、そうならないようにゆうせんの外で働いて練習したいと思います。過渡的雇用では9ヶ月間掃除を頑張ったり、お客さんがみえたら明るく挨拶をしていきたいと思います。今は自分に自信がないので、過渡的雇用をやって自信をつけたいと思います。(のんさん)

「病気を経て、今」
私は、30歳頃にうつ病になりました。きっかけは、当時契約社員で働いていた職場の環境がすべて変わったことがきっかけでした。しばらくして、仕事をする事が困難になってしまい、1人暮らしを止め、親元へ戻りました。その頃に、発達障害と判明し、ホッとしました。就労A型などにチャレンジしますが、再び環境の変化に戸惑ってしまい、やめてしまいました。その頃に地域活動支援センターふらっとを知り2年2ヶ月通所した所で、ふ
としたきっかけにより、クラブハウスゆうせんのほうへ行くことになりました。最初の1ケ月は週5で来ることができていましたが、その後、月5日とかしか来れなくなっていました。スタッフと話をして、週2から始まって、今では週4通うことができています。
普段、キッチンユニットへ入っています。週3の午前中は、ブログ更新やパソコンでの作業を主にやっています。週2で昼食作りをしています。中々危なっかしい手つきですが、スタッフや他のメンバーさんの協力の元、苦手なコミュニケーションを取りながら調理をすることができています。
自分の今の課題は、環境の変化やコミュニケーションに戸惑わない事だと思っています。それを、ゆうせんで、どう活動できるか。頑張っていきたいです。(也)

「ゆうせんと出会って」
私は躁鬱病患者です。最初は認めるのが嫌でした。なぜかというと、亡くなった私の母も精神病患者(統合失調症)で、母と一緒になってしまう気がして恐くて恐くて仕方がなかったからです。でも一年半前、保育所を手伝っていた時に子どもに振り回され、できないことだらけで気になって眠れなくなってしまい、幻聴は聴こえるわ、何もやる気が起きなくなり、認めざるを得なくなりました。でも私は今母と一緒にはならない自信があります。なぜかというと環境が全然違うからです。一昨年母と祖母が一辺に亡くなり、何をやっていいか判らなかった頃、主治医から紹介されたのがゆうせんでした。こんな私でも出来ることが沢山あると自信が持てるようになりました。(のんちゃん)

「僕がゆうせんに来るまで」
僕がゆうせんに通って今年で5年くらい経ちますが、今まで色んな体験ができました。高校のころにはあまりこれといって楽しいと思う事があまりなくて青春時代も何もうれしく感じることは有りませんでした。精神科へ通っていた頃は手が震えたり、目が上の方へ上がったりして、物凄く苦しかったです。でも頑張って車の免許を取った時はうれしい気持ちでした。今まで僕は人工透析を受けていたのですが、最初の頃は看護婦さんたちが明るく対応してくれて、嬉しかったです。それから看護婦さんたちも色んな事情でやめていってしまって、今はあまり良い環境ではありませんが、男の看護師さんが体重の話しとか、点検を丁寧にしてくれているので、安心して透析に行けます。透析は火、木、土とあるのですが、最近は透析後に体調が良い時は火、木もゆうせんに行けるようになりました。ゆうせんのスタッフさんたちが温かく迎えてくれる事がとてもうれしいです。就労B型が移転してから、メンバーの人たちがそれぞれやる気をだして仕事をされているので、非常に良い環境だなと思っています。今は朝の仕事でテーブルふきを頑張ってやっています。休
み時間に缶コーヒーをのんでリフレッシュしています。今はパソコンで週1回の受注作業とアンケート集計を頑張っています。(T・K)

「僕の体験」
僕は大学3年生の時に統合失調症に発病しました。原因は同級生との人間関係によるストレスからでした。保健室の先生に勧められて地元の病院に受診しました。先生から統合失調症と言われました。しかし地元が物凄く苦手な僕にとって病院に通院するのは苦痛でした。知っている人に会ったらどうしようとか思いました。弱い薬しか処方されず3日間眠れない時もあり、オーバードラッグをした事もありました。その事があって僕はG市のGK病院に代わりました。GK病院の紹介でゆうせんに来ました。大学は復帰したかったのですが、休学をさせられてドクターストップで辞めさせられてしまいました。ゆうせんに来てから僕は車の免許は発病前に取りましたが、気が付くと車の運転を4年間ペーパードライバーだった時期もありましたが、今は車を買って毎日ゆうせんに車を運転して来れる様になりました。でも僕は睡眠障害が酷くていまでも夜なかなか眠れず、朝が起きれずに遅刻が多いです。それを何とか克服するのが今後の目標です。(S・K)

「少しずつ取り戻してきた場所」
私は20代後半の時、仕事の急な変化についていけず体調を崩しました。病気になり年月が経ち、市役所で紹介され「ふらっと」に行く事になりました。スタッフの方がとても親切で、いろんな不安はなくなっていきました。初めてレクに参加した時も人見知りで警戒心が強くて右も左もわからない状態でいた時、メンバーの皆さんがやさしく接してくださり少しずつ緊張などが取れていきました。
現在は、朝から夕方1日を通して行くようにしています。スタッフの方に家族に対する気持ちや仕事を辞め、目標をなくした時や昔のことを思い出し泣いていた事を話したときに自分が今まで言えなかった気持ちや思いが自分の心の中に押し込んでいて誰にも悟られないようにしていた事に気づかせてもらいました。「自分の気持ちを心の中にしまわずに出していかないと辛くなるよ」と言われたときは自分の心の中にある引っかかるものが少し動いていく感じがしました。私自身何か言いたくてもなかなか言えない事に直面して相談した時も「ふらっとは自分の意見を言っていいところだから自信を持っていいよ」と言われた時、「私も思った意見を皆に言って伝えてもいいんだ。皆と“同じ”なんだ。独りでなんでも抱え込まなくていいんだ。」と思い涙が出たことがあります。みんなで決めることには自分の意見を間違っていてもいいから言うこと、どんなに小さな事でも話をするようにしています。(M&M)

「これからの私」
私の病気は、強迫性障害とうつです。強迫性障害になったきっかけは中2の洗濯物がきっかけでした。そのとき服をきれいに洗えているか、洗濯機からちゃんと服を取り込めているか、落ちていないかと突然不安感に襲われ、その時から洗濯機から離れられなくなりました。それがきっかけで病院に行き、以降カウンセリングも受け、症状は落ち着いたと思っていました。しかし急に体調が悪くなり入院する事になりました。入ったところは閉鎖病棟で、強い不安感があり、できたことは洗濯と日記を書く事ぐらいでした。入院生活中は、自分で気持ちを抱え込んでしまい、感情が抑えきれず泣く日々でした。退院後、ゆうせんの就労継続支援B型を紹介してもらいました。わずかながらお金をもらう事がうれしかったですが、しばらくして人間関係でつまずき孤独になる時があり、それが自分の中で保つことができずゆうせんを辞めてしまいました。
その後しばらく引きこもっていましたが、新しくふらっとが出来ると聞いて行ってみました。ふらっとでは人間関係の事も解消され、少しずつですが私の居場所になっていきました。もちろん最初は誰とも話せませんでしたが、居心地良い環境でそれまで自分で距離を置いていたスタッフとも会話などをして距離が近くなっていき、他のメンバーさんとも話せるようになったり、皆との話し合いで意見が言えるようになったりしていきました。なによりも皆がゆったりと過ごしているので、私もゆったり過ごすことが出来ています。
病気になる前は仕事を普通にしていたのでふらっとでも出来る事をして一人暮らしもしてみたいです。(ジュン)

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